企業経営の鍵:これからの企業と経営者に必要な「学び」とは︖
~知識の壁を越え、ビジネス成長につなげるための思考法~
東京大学名誉教授 養老 孟司 氏

養老でございます。私は日本社会のこれから、将来について、普段気になっていることをお話したいと思って参りました。

少子高齢化は日本が「最先端」どう受け止め、何を考えるべきか

例えば昨日の読売新聞に、昨年度の新生児が80万人を割ったという大きな見出しが一面のトップに出ていました。
少子高齢化していっているのは日本だけではありません。ヨーロッパのいわゆる先進国を見ていますとほとんど、イタリアなんかまったく同じみたいな人口構成になっておりますし、子どもの数も減りつつあります。

年を追っての変化を見ていきますとだいたい予想がつくわけですが、世界中、人が減っていくとみていいわけです。インドやアフリカが増えていくだろうというのは多くの方がおっしゃるんですが、そういう社会も何十年か観測したら、日本と同じようなペースで動いていくはずだと思われます。

そういう社会は日本が最先端を切っている状況ということです。ですから、対策を打つには自分で考えるしかない。今まではどこか先にいっているところをみて、追いかけていけばよかったんですが、今回はそうはいかない。

私自身が今現在気になっていることとして、新聞記事を読んでいますと「少子高齢化にともなって、将来労働人口が減少していく。それに対して高齢化、年寄りが増えていく」ということが書いてある。それをまた若い人が真に受けるというか、雰囲気を受け取ってマイナスのイメージで捉えるんですね。
若い経済学者さんが、年寄りの集団自決なんていうことを言ってちょっと炎上に近いことが起こっていましたが、私はなんでこういう自然現象を素直に捉えない、マイナスとしてしか捉えられないんだろう、と思っています。

なぜかというと「人口が減って、働く人が減ってくるので、これまでの制度が維持できない」と言いますが、これまでの制度が維持できないなら変えればいいじゃないかというのが、私どものように戦中から戦争が終わった後の世界をみてきた人間にしてみれば、変わっていくならやりなおせばいい、と思うわけです。
それが、今は若い世代でも既に現在の制度を維持するということが暗黙の前提になっているんじゃないか。そうしますと、少子高齢化の時代にそういう制度の維持は無理ですから、何だか知らないけどネガティブな反応が起こってきます。根本的に人が状況を変えたくないというのがあるんだろうと思うんです。

私は素直に自然現象として少子高齢化を捉えたほうがいいんじゃないかと思っています。ネガティブなイメージをお持ちになるよりは、これをどういうふうに上手に生かしていくか。例えば、子どもが減ってくるんですから、一人ひとりのお子さんの面倒をみることが手厚くなるはずなんです。しかし、そんなこと誰もやっていない。
どうしているかというと、子どもの数が減ったから学校を統廃合すると。先生には同じ数の生徒を持たせて、今までどおり学生を生産していくという商品生産によく似た考え方を続けているんですね。面倒を見る相手が減ってきたんだから、一人ひとり丁寧に面倒が見られるはずだというふうにならないんですよ。学校を少なくせよ、金を節約せよみたいな、そんな必要まったくないと私は思っているんです。なんでせっかく日本中に学校があって環境のいいところで子供たちがのびのび勉強していけるのに、それをわざわざつぶさなきゃいけないのか。
それで議会でも、地方議会でもそういうふうに、学校を統合してしまうほうがいいという意見が通るということは、非常に多くの方が、今まで通り学校は頭数で行くんだというそういう従来の思考に囚われて、少子高齢化ということを本気で考えていないんですね。それがしかもずっと続くんです。

医療についても典型的で、医療費を負担してくれる世代と、医療費を使ってしまう世代、高齢者のバランスが悪くなってくるから、今の医療制度は持たないと、計算している人はみんな言います。じゃあそれならどうするかというと、制度を変えなきゃいけないわけですけど、どういう風に変えるのが合理的かということは新聞の1面にはならない。
人間どこまで生きるかというのがあって、ある程度高い年齢の人の癌の治療をして完全に治したとしても、その人がその後生き延びる年数というのは非常に限られているわけですね。

そうすると、それに対してかなりの医療のリソースを費やす必要があるかというと、命とカネの計算みたいになっちゃいますけれど、やっぱりそこで合理性をちゃんと追求するならそうしていけばいいわけで、それがいやなら、生きているってどういうことだ、人生ってどういうことかみたいな、なんというか青くさいというか、そういう疑問に立ち戻るしかない。

そうしたことから、私は少子高齢化というのは、なんとなく漠然とした雰囲気みたいに捉えないで、非常にはっきりした単なる事実として捉えていただきたいと思います。

将来「必ず起こりうる危機」その後をどうするかー南海トラフ地震から考える

次に、南海トラフの地震について考えたいと思います。専門家である京都大学元総長の尾池和夫先生は38年説をずっと前から言っておられます。あと15年しかないんですね。
今年はこれを大きな声でいうのにちょうどいい、関東大震災から100年なんです。

15年というとすぐです。特に今のお子さんたちは、小学生が大学生になるかどうかで、そういう時代がきます。これは災害の規模がわかりません。非常に大きな災害になる場合もあり得るし、そんなにたいしたことなくて済む場合もありますが、いちばん嫌なケースは東南海プラス首都圏直下型プラス富士山噴火みたいなことで、そうすると、皆さん方が常識にしておられるような日常が壊れます。

15年という予想がはっきり出ているので、これは何を根拠にしているかというと、実は古文書です。南海トラフというのは典型的にプレート地震で、室戸岬が次第に沈んでいくんですね。そして、あるところまで沈むとポンと跳ね上がる、その時が地震になります。
どれくらい沈んだら跳ねるかということを古文書から計算しているんですね。日本はそういうことが何回かあって記録が残っていますので、室戸岬に近いところの室津という漁港が、跳ねるたびに海が浅くなりますので、室津の港が使えなくなると。

江戸時代から、地震の後、港を掘った記録があるわけです。すると、どれくらい掘るかでどれくらい跳ねたかがわかるわけですね。ある程度定量的に調べられるので尾池先生がご自分なりの計算で38年が次、というふうに出されてだいぶ前から聞いているんです。

私が申し上げたいのは、地震の規模とかその時どうするんだということではありません。
おそらく皆さんはそういうことが起こった後、元に戻す、復旧をしようというふうに考えると思うんですね。
しかし、私は日本全体のここのところを考えますと、元に戻すというのはただ今現在に戻すということで、今現在がただでさえ混迷している、皆さん困っている状況下において、これを元に戻すんじゃなく、復興しなければならない。新たに作っていかなければいけないだろうと思っています。

地震はいい機会になるんじゃないか。もちろん地震によるショックでそれどころじゃないよと思われるかもしれませんが。後でお話しますが、過去の歴史をたどると日本はこのような大きな災害の度に思い切って政治を変えているんです。

新しい社会は環境問題が中心になる

それで、その新しい社会というのはどう考えているかというと、これはもういわゆる環境問題を中心に考えるしかない。環境問題をもしかすると皆さん方は抽象的な問題とお考えかもしれません。これまでの社会は、環境問題はなんとかお金にするという方向で頑張ってきたわけですが、そういう社会ではなく、本気で考えていただかないといけなくなります。

国連はSDGsなんて言っていますけれど、これは私流に翻訳しますと、皆さん方の現在の日常生活をそのまま続けていくと、それ自体が日常生活を破壊していきますよという話ですね。つまり、現在のままでいくと、結局現在のままがそのとおり行かないよ、ということです。
だから、非常に強い警告のはずなんですけれど、人によってはSDGsみたいなことをきちんとやっていけば、今の日常が保証されると思っているんじゃないかと思うんですけど、そんなことはありえないので。資源が有限であって、無限に成長することなんてありえないなんてわかりきっていることですが、それをなかなか人は認めようとしないんですね。

最終的な形は、自給自足型の小集団、地域といってもいいんですが、それがまず成立することです。東京をどうするんですかと言われると本当にもう困っちゃうんですが、東京というのはそもそも自給自足ができないようになっています。狭いところに人が大勢集まっていますから。

自給自足はエネルギー・水・食料が基本だというのはどなたもお分かりだと思います。しばらく前にNHKと藻谷浩介さんが一緒になって、里山資本主義ということを言われた。日本の田舎でどうやって自給型で暮らすかという話ですね。
これはなんで資本主義かというと、この場合の資本はお金じゃないんです。林業が典型ですけれど、木を植えて放っておけば勝手に利子がつくんですね。年に数%、1割とは言いませんが、ちょっと1割にかけるくらいの利子がつく。つまり樹木は育つわけです。自然というのはひとりでに利子を生んでいきます。里山をいわば資本と考えて、そういう世界を作っていこう、という考え方です。

今そんなこと言ったって、まともに聞いてくれないかもしれません。ですから私は日本社会の大きな問題は災害の後考えたらよろしいと言ってます。、あんまり一般化していないですが、そういう状況が日本というのはたえず起こり得るんだということは考えなければなりません。その時に新しい社会を作りなおしていかなければいけませんが、それは環境問題が中心になるということです。

Silent Earth

そこで申し上げたいのが、昨年、翻訳が出た本なのですが、「Silent Earth」。環境に関心のある方はお気づきだと思いますが、レイチェル・カーソンの「Silent Spring」という本が60年代にでています。DDTの概要を説いたもので、DDTによって鳥が啼かなくなる、鳥がいなくなるということ、それでDDTが生産も使用も禁止になりました。

「Silent Earth」は昨年、グルソンという昆虫学者が書いた本で、1989年ごろから2020年くらいの間、30年間で、全世界の昆虫が8割から9割減ったというのです。このことは皆さんの生活で実感されるとしたら、高速道路を走った後の車のウィンドウスクリーンの汚れ方ですね。10年、20年前、高速道路を走っているとずいぶん車が汚れたと思うんです。虫がぶつかってつぶれて、それが乾いてウィンドウスクリーンを掃除されるのに苦労されたと思うんですが、現在それがほとんどないということにお気づきでしょうか。

最初に少子高齢化の話をしましたが、ひょっとすると虫が8割、9割減っているという話と、世界中で子供の数が減っている、子どもが増えないということは同じ現象かもわからないなと私は前から思っていました。

虫自体が減っていることはずいぶん前から自分が虫採りをするから気が付いていたんですけれど、ここまでくるとやっぱり生き物の数が地球の中でどんどん減っているということです。そうすると必ず皆さん理由は何ですかって聞くんですけれども、こういう大きな問題に答えがある保証も何もないんです。今までの考え方で答えが出るかといったら、私はたぶん答えが出るころには、人間いなくなっているんじゃないかっていう気がします。非常にややこしい問題だから、たぶん、答えは出ないですね。それで端的に言うと、そのいろんな問題が起こるたびに人類はそれを考えて片付けてきた。だからいわゆるシミュレーションを頭の中でやって、都合のいい方に持っていくようにする、都合の悪い選択肢はとらないで。

そういうやり方でずっとやってきたから、それで解決できる問題はほぼ解決してきたんです。そういうやり方では片付かない問題が全部残った。それが例えば、虫が減るという現象で、一番面白いのは、これのデータのうち、例えば、ドイツでは1990年から2020年頃までの間に、8から9割の虫が減ったというデータをどこからとっているかというと、ドイツの自然保護区からとっているんです。自然保護区というのは、開発を入れていないし、植物は見た目では木はそのまま保存されているし、人がいじっていないんです。そういうところで勝手に減っているわけですね。だから理由を聞かれてもわかりませんというしかない。

日本はどうして少子化なんですかと言われても返事できないのと同じで、意図して減らしたわけじゃないので、子どもを減らそうとして減らしたわけじゃありません。気が付いたら減ってたというそういうことですね。それを政府が意図して増やそうと頑張っていますけれど、たぶん、役に立たない。虫を保護しようと思って自然保護区を作って、いじらないようにしておけば増えるなと思ったのは、結局ダメだったんで、そんな問題じゃないんですね。もっとかなり根本的な深い問題であるような気がします。
生き物が生きていくには向かないような世界を一生懸命人間が作ってきた。そういう意味で、新しく日本で災害が起こった後、新しい社会を作り直すというのは、私は意外に現実性が高いんじゃないかと思ってます。

見えない世界の変化

今申し上げた昆虫の変化にともなって、我々が知らない環境変化が起こっているはずで、一つは、土の中の菌類です。例えば、耕さない農業というのがアメリカでは1割くらいになっているんですけれど、これは面白いですね。最初にこれを知ったのはだいぶ前ですが、千葉県で不耕起で田んぼやられているおじいさんがいて、もう亡くなられたんですが、「逆さになった地面に生えている草を見たことがあるか」といきなり言われました。要するに、耕すというのは地面を逆さにすることだと。

また去年、「土を育てる」というアメリカの農家の人が書いた本が出ました。奥さんの両親からの農地を譲り受けて、不耕起、化学肥料を使わない、殺虫剤をまかない、農薬使わない、いわゆる自然農法ですね、それで採算をとれるまでにしたという農家の書いた本です。

それを読んで本当に不思議だなと思ったのは、例えば、ジャガイモの畑なんですけど、たねいもを地面に並べていくんです。耕さないから。上に枯れ草をかぶせて、収穫期になったら、かぶせていた枯れ草をのけると、ちゃんとジャガイモが育ってる。何を不思議に思ったかというと、人類農耕1万年と言われていますが、額に汗して何してきたんだろう、何もそんなに無理することなくて、でもそういう額に汗して働くということが人にとって大事だったんだろうなと。つまり芋を転がしておいたら勝手に育っちゃったっていうのは嫌なんでしょうね。やっぱり自分が努力して育ててこうなったのを売るなり食べるなりする。それでないと気に食わないんですよ。

日本人は特にそうだと思うので、本当に一生懸命働かないと、自分が満足しないという。それで異常なストレスを感じていて。面白いと思うのは、だからネコが流行るんじゃないかな。私も「ネコと年寄りは役立たずで結構」という本を出したことがありますけど、役に立たないそういうものっていうのをちょっと考えさせられる。

不耕起とそれから土の中に広がっている菌糸・菌類、関係があると思います。要するに耕さないということで何をしているのかというと、耕した結果壊してしまう土の中の菌類のネットワークを保存するということです。耕さないでおくと菌類が増えるんです。菌類って非常にいろんなことをしてくれていて、森で言うと、森の中の木の根っこの土の中に菌糸が網の目に広がっていて、例えば大きな木が光合成で生産した物質を菌類がとって、その菌類のネットワークの中を動いていって若い木にその栄養がいく。

それでこれも去年翻訳が出ました「Mother Tree」というカナダの女性の森林研究者が書いた本ですが、たいていの山にありますが、全体の親分みたいな大きな木があります。そいつが例えば、樫の木だとどんぐりを落とすわけです。そのどんぐりの実から木が生えて、若い木が生えて育ちます。そうすると、親木のほうがわかっていて、そういう自分の子孫の若木には余分に栄養を渡すみたいなことが起こっているみたいです。それを「Mother Tree」の著者は、それを大変な手間で森の中の実験で証明しています。

畑を耕すというのは、要するに見えませんから、普通の平地である自然のネットワークを一生懸命壊すわけです。どうして壊れたって言うことがわかるかっていうと、これは簡単で、地面の中の生物量を測ってみればいいわけです。菌類のネットワークがあれば、生物がもっている、特に炭素量が多いわけですから、そういうものが高いはずですけれど、化学肥料とか殺虫剤とかそういうものが痛めつけた土では、炭素含有量が非常に低くなります。

さっきのドイツの自然保護区でも虫が減っているという話と同じで、見た目は植物がちゃんと育って普段通りに見えるんですけれど、全然虫がいないという、それと似たようなことで、一見、同じような土に見えるんです。僕も見せてもらったことがありますが、実際にそういう有機でやっている農地は、土をつまむと粘るんですね。中に生き物が、菌糸が入っていますから。ところが、科学的に扱っちゃった土地はパラパラパラと砂の集まりっていう感じなんです。

それから同じように見えない生き物では、河川や海水地のプランクトンがいます。これが非常に減っているはずです。だから魚はもちろん減っている。沿岸漁業がずっと不振なのは、それが大きな原因です。森と川の連絡を切ったからだと良く言われます。要するに、あちこちに砂防ダムなどいろんなものを置いて、山から流れてくるものを限定してしまったんです。例えば、アユに関して言えば、アユの産卵場所がなくなった。あちこちに土砂を防止するための小さなダムをつくったんですね。そこでせき止められちゃうので、適当な大きさの石なんかが河口まで流れてこなくなった。流れてくるのは、川の中の本当に微小なものと水だけで、適当な砂利みたいなものが流れて来なくなった。ところが、アユが産卵するところは、小石くらいの大きさの礫が川底を占めているようなそういうところなんですね。
そういう場所を今、高知県とか山梨県とかで人間が作っています。なんでそんな馬鹿な事しなくちゃいけないかというと、上の方でずっとダムをつくっていったから下の環境が変わって、アユが卵を産む場所がなくなったというそれだけですが、それを人がつくる。

自然をいじる時には、いじったことによるマイナスをどこかで補ってあげなければいけない。それをやらずにいじりっぱなしにしてきた典型が、ここ何十年かの日本です。

歴史上の災害から学ぶ

私は鎌倉に住んでいることもありまして、日本の歴史から申し上げますと、鎌倉時代というのは平安時代の後、貴族政治の平和な時代が続いて平安といっているんですが、それがぶっ壊れて武家政治の時代になります。その時に平安の後期から、鎌倉時代の初めに近いころまでは、実は天災の連続だったんです。

平安時代ですと、一番わかりやすく書いてあるのが方丈記でして、方丈記はちょうど鎌倉時代に入るところの個人の記録ですが、非常に上手な人で、新聞記事みたいに非常に短くきちんとまとめられています。例えば、当時は地震、大きな災害があると年号を変えましたから、それで元暦年間に起こった地震を、文治の地震といっているんですが、地震が少ない京都で非常に大きな地震があって、あちこちで寺社仏閣が壊れて、3か月余震が続いて寝られなかったということが方丈記に書いてあります。そのような大きな変化がある時代に、政情の変化が並行して起こっています。清盛の福原遷都とかですね。そういうふうに世の中全体を変えるような動きというのが、日本全体が揺れるということと並行しているんです。

それから、江戸から明治に移り変わる時にも、嘉永6年にペリー来航、これは日本史で誰でも知っているんですが、嘉永7年というのが安政の大地震。嘉永7年と言われないのは、これも年号を変えたからで、嘉永7年が安政元年になる。それで安政の大地震なんです。

その後、江戸の地震があって、このあとご存じのように討幕運動になって、明治政府が成立していくわけです。しょっちゅうこういう大きな自然災害が日本であるので、歴史の事件と結び付けたら簡単に結びつくんですけど、それは普通、歴史家はやりません。

なぜなら歴史を書く人は、人間の世界の法則で人間の世界が動くというふうに考えたいので、そこに天災が入ってくるとそれは邪魔なんですね。横から変なものが飛び込んできたみたいな感じになって、歴史の筋の邪魔になるっていう感覚があるからあまり結び付けないんですが、日本の場合だと私は結び付けざるをえないと考えています。

今年で関東大震災から100年ですが、関東大震災の後何が起こったかと言いますと、大正デモクラシー、それから消費社会の始まりです。当時、景気が良かったんですね。もちろんその後すぐ、昭和恐慌と言われるようになりますが。第一次世界大戦のあと、バブルというか景気が良くて、そこへ関東大震災が起こります。それで間もなく、軍人内閣が成立するようになって、そのあと戦争へと一直線に進んでいくような感じになりますが、その起点になっているのを私は震災と考えてる。

大正デモクラシーと言われる、ちょうど現代社会のはじまりみたいなものが大正期にあって、竹久夢二のポスターとか、消費社会のはじまりがあったんですけど、それがなんだかしらないけど逆方向に行っちゃった。それはたぶん、震災が特に東京で起こりましたから、政府や官僚といった全体の政策を決めている重要なポストにある人たちの気持ちが変わったんだと思うんですね。空気が変わった。日本では物事は空気で動くと言いますから。

日常の安定への固執と新しい日本の社会について

昔からそうであるように、今後も地震をきっかけとした変化を予測するのは、そういう天災でも起こらないと日常が妨害されないからです。日常が安定してしまっている人たちはまず絶対に考えを変えようとしません。今を維持しようとします。そうやって維持しようとしている日常が天災によって壊れてしまうからです。

日本語で「ありがとう」というんですけど、ありがとうというのは、なかなか無いことということですね。「有難い」ですから。日常生活というのは、毎日毎日ですからちっとも有り難くないんです。ところが天災が起こった瞬間に、日常がいかにありがたいかということがわかる。水も食料もエネルギーも安定して供給されている、そういうような状況がありがたいということに気づくわけですね。それをどうやって維持するかということが今見えなくなっちゃって、全部人任せになってるわけです。

食料はその典型ですね。その食料がどんな状況になっていてもみんな平気。筒井美香さんという人が農の問題をよく書いていますが、食べ物にどんなものが混じり込んでいっても皆さん平気でいる、という話です。農薬に関して言えば、日本と韓国が単位面積当たりの農薬使用量がいちばん高いという国ですから、そういう状況に対して、実際の生産者、作っている人は当然わかっているわけですね。だから、自分の家で食べる分には絶対そういうものは使わない、配慮しているはずです。

農水省に限らず食品統計なんかは、商品として流通にのった農産物の統計ですから、そういうものは、私はあまりあてにしない。数年前に、今は亡くなった群馬県のおじいさんがやってきて、ダンボールに2杯くらい果物を持ってきてくれたんです。いろんなものが入ってた。で、なんて言ったかというと、「先生これは農家が自家用に作っている果物だから大丈夫です」っていってお土産をおいていったんですけど。それじゃあ俺が金出して買っているあれは何だっていう質問が起こる。こういう世界を、これが便利、これが効率的として、皆さんつくってきたんですね。

皆さんもよくおわかりだと思うんですけど、毎日毎日がきちんと保証されていれば、言葉でしゃべるようなことを聞いていない、聞いても話として聞いている。だけどそれが自分自身の生活に直接影響しちゃうような場合には、それこそ本気で考えるわけですね。

私はそうなったときに、いちばん嫌なのは、要路にある人、つまり政府や官僚の人たちが次の世界のビジョンを持っていないことです。それで、さっき復旧と復興と言いましたが、復旧しようとする。

例えば、東南海地震がくれば、新幹線は壊れるに決まってるんです。浜松のあたりでは、ほとんど海の上を走っていますから。東海道新幹線が壊れたらどうするつもりか。もう一つ危ないのは丹那トンネルで、あれは関東大震災のあと完成してるので、丹那トンネルがつぶれるなりずれるなりしたらどうするか。リニア新幹線に至っては、どこがどうなるかわかったもんじゃないです。そういうものを作り直すのか。つまり復旧するのか、もうあんなものはやめて別の街にしようと思うのか、そういうことを考えるのは皆さん方です。

ぜひ、皆さん方とお子さん含めて、災害がくることは間違いないので、その時どうするかは、避難とか耐震とか考えることはありますが、問題はその後でありまして、その後の社会が新しい日本の社会だと私は考えている。その時こそ、環境問題なんかも根本的に考え直す。

今、考えろといっても、たぶん多くの方が知らないよ、日常が安定しているときにこういう話をしてもしょうがないということで、今日の話はこんなところで終わりたいと思います。

ご清聴ありがとうございました。