「野性」が日本企業を強くする
デジタル時代のリーダーが知るべき
「二項動態経営」とは?

<基調講演>

二項動態経営 
今こそ考える、人間の潜在力を解放するための
ヒューマナイジング・ストラテジー

一橋大学名誉教授、日本学士院会員 野中 郁次郎 氏

「未来を切り拓く実行力〜“AI時代”のサービスイノベーションとリーダーシップ〜」では、デジタル化が進んだことが新しい価値の創出に向けたチャンスである一方で、それによって生まれている複雑な課題へとどう向き合うかをテーマに、経営者やリーダーがとるべき行動について、各界から有識者が集まり、セッションを展開した。

本記事では、その中から一橋大学名誉教授、日本学士院会員である野中郁次郎氏によるセッションを基に、デジタル化やデータ化が進む昨今、各人の創造性や“野性”をいかに引き出して集合知を創造し、新しい価値創造を実現していくかについて解説していく。

過度な「科学的経営」が、競争力の低下を招いてしまった

 野中氏によるセッションのタイトルは「二項動態経営〜今こそ考える、人間の潜在力を解放するためのヒューマナイジング・ストラテジー〜」だ。セッションの冒頭、これまでの歴史を踏まえつつ、野中氏は次のように日本企業が直面している状況を示した。

 「私たちが現役だった昭和の時代は、多くのビジネスパーソンが会社のために一生懸命働くことで、日本は『ジャパンアズナンバーワン』と呼ばれるまでの地位を確立しました。しかしその後、平成期からどんどんと国際競争力が落ちてしまい、特に知的競争力については、IMDの調査によると直近で世界35位まで落ち込んでしまっています」

 その大きな要因として、野中氏はいわゆる日本的経営が、形式知に偏重していることを挙げる。より具体的には「オーバー・アナリシス(過剰な分析)」「オーバー・プランニング(過剰な計画)」「オーバー・コンプライアンス(過剰な規制)」という3つの過剰を指摘した。

 ビジネスのフレームワークとして一般的であるPDCAサイクルを活用している企業も多いだろうが、この点についても野中氏は警告する。社会学者佐藤郁哉氏が指摘するように、PDCAのうち「P=計画」と「C=チェック」の部分のみが肥大化してしまっているという。

 どういうことか。例えば、計画段階において到底現実的ではない過度な計画を立案することからスタートすると、次段階の実行がなかなか進まない。さらに、過度なチェックが働くなど、マイクロマネジメントが行われれば、現場は疲弊する。本当に着手しなければいけない問題がなおざりかつ先送りとなってしまっているのだ。

 「現象学者フッサールは『日常の数学化』という言葉を使い、科学万能主義に陥った第一次世界大戦前後のヨーロッパの状況に警鐘を鳴らしました。日本の今の状況にも通底しています。本来であれば知性の前にあるべき感性がないがしろになってしまい、また経験よりも、分析や数値化に注目が集まっているのが、昨今の状況ではないでしょうか。新しい意味や価値は、人間の直接経験における直観・クオリア(感覚質)から生まれることを再認識しなければなりません

「野性」を経営へ生かすために有効なフレームワークとは?

 こうした状況を踏まえ、野中氏が提唱するのが「野性の復権」だ。本来、人間は未来志向で新しい意味を創造する動的な主体であり、過度なデジタル化やデータ化に振り回されるのではなく、創造性の原点となるアナログ性や身体性をまずは重視していくことこそが重要なのだという。昨今、生成AIの台頭などによりその勢いを増している人工知能と人間を比較したとき、大きな違いは身体性にあることからも、野中氏の主張はうなずけるものといえるだろう。

 「いかに人間くささ、野性を取り戻すか。イノベーションというのは、決して数値だけでは起こせるものではありません。個々人が野性を取り戻し、創造性を発揮して、いかに組織的に新しい知を生成していくか。これからの経営には、この点が求められるのです。

 とはいえ、ここで重要なのは、デジタルとアナログ、暗黙知と形式知といった二項を「対立」ではなく、いかにバランスを取って、そのせめぎ合いの中から、新しい知を集合的に創造していくか、ということこそが、経営者に求められる姿勢だと野中氏は指摘する。「経営におけるさまざまな現実では、大きな矛盾に直面することがあるでしょう。時に両極端なものもありますが、目を凝らせば地続きのグラデーションで両者がつながっていることが分かるはずです」。だからこそ、分析的に「あれかこれか」と対象化するのではなく、「あれもこれも」で新しいブレークスルーを目指すのが二項動態(dynamic duality)である。対立しがちな二項を切り捨てたり、妥協したりしないことで、衝突や葛藤、緊張と向き合い、そこから新しい価値を見い出し、組織の変革につなげ、イノベーションを起こしていく。それが、セッションのタイトルでもある「二項動態経営」なのだ。

 二項動態経営に生かすべきとして、野中氏は「SECIモデル」と呼ばれるフレームワークを提示する。各人の経験や思いなどの暗黙知を集団、組織、社会で共有できるコンセプト、理論、戦略などの形式知へと変換し、その実践を通じて、すべての知の源泉である暗黙知を豊かにしていく、そのスパイラルを共通善にむかって回していく組織的なイノベーションを説明するモデルだ。

 SECIモデルは、形式知を共有することから始まるのではなく、まず「共感」から始まる点が重要である。動く現実のただ中で各々の直観や思いを、全身全霊で他者と相互に共感する。その最小単位は2人、二人称だ。そこから、対話などを通して形式知へと変換して集団の知とし、さらにいくつもの形式知を自在に組み合わせて理論化し組織知・集合知とする、そしてその組織知を一人ひとりが実践を通じて身体化し、自己変革するという、新たな集合知を創造、実践する無限のスパイラルアップ・プロセスだ。

関係性の構築と、自律分散型の組織がカギを握る

 SECIモデルを取り入れていく上でのポイントはいくつかある。

 例えば、同モデルで重要なのが、個々人の野性を通じて得たさまざまな知を、いかに集合知へと昇華させていくかだ。そのためには、共感関係の醸成が一丁目一番地である。

 「人は、人との関係性の中で人となるのです。だからこそ、SECIモデルは共感から始まるフレームワークにしているのです」

 人と人との共感関係を基盤に集合知へと昇華している事例として、野中氏はいくつかの事例を挙げる。

 その一つが、本田技研工業だ。同社には「ワイガヤ」という独自の文化がある。同社の公式Webサイトには、ワイガヤについて次のような紹介がなされている。

 「『ワイガヤ』とは、『夢』や『仕事のあるべき姿』などについて、年齢や職位にとらわれずワイワイガヤガヤと腹を割って議論するHonda独自の文化です。合意形成を図るための妥協・調整の場ではなく、新しい価値やコンセプトを創りだす場として、本気で本音で徹底的に意見をぶつけ合う。業界初、世界初といった、Hondaがこれまで世に送り出してきた数々のイノベーションも、ワイガヤで本質的な議論を深めるところから生まれています」

 同社がこれまで世に出してきたいくつものイノベーティブなアイデアやプロダクトの裏に、ワイガヤがあったのである。野中氏は、ワイガヤのポイントは、「共感関係を媒介にしていることがまず重要です。それはある意味、役職や立場などの鎧を脱ぎ捨てた関係性なのです。だから、忖度や妥協はご法度です。葛藤や衝突に直面して、辛くてしんどくても互いの思いを本音でぶつけ合っていくうちに、お互いにこうとしか言えない、という本質にたどりつくのです」と言い、このような共感と対話の場を「知的コンバット」と呼んでいる。

 組織の在り方として「自律分散系」の重要性にも話が及んだ。集合知を練り上げていくには、トップダウンやボトムダウンといった、ベクトルが一方向のマネジメントではなく、トップの理想と現場の現実を綜合するミドル層が活躍できる「ミドルアップダウン」ともいえる機動的な組織が有用だという。

 分かりやすい例がマトリョーシカだ。マトリョーシカは、フラクタルと呼ばれる構造になっている。フラクタルとは、全体を部分へと分解したときに、その各部分が全体と相似形な構造を指しており、ピラミッド型などのヒエラルキー構造と対照的なものである。

 このような組織であれば、環境変化に応じて、現場発で機動的で柔軟な施策を実行できるとともに、そこから組織全体へと輪を広げていき、集合知へと昇華させやすい。ソフトウエア開発の新しい手法であるアジャイル開発における「スクラム」は、野中氏の組織的知識創造理論を基盤としている。この「スクラム」も、メンバー一人ひとりの知を集合的に生かしていく自律分散型の全員経営の手法であるとも言える。

これからのリーダーは「知的バーバリアン」たれ

 講演の結びとして、野中氏は「物語り(ナラティブ)」の重要性についても指摘する。

 「二項動態による経営には、「物語り」も重要です。事実を羅列するだけでなく、因果関係も含めてどのように物語るか、そして、いかにワクワクできる筋書き(プロット)と肚にガツンとくる行動指針(スクリプト)へと昇華した戦略に落とし込めるかが、カギを握ります。物語りは、Why(なぜ)を語ることで人間の主観に訴えますから、戦略の実現に社員を巻き込んで、行動を呼び起こすことができることでしょう」

 二項動態経営への挑戦には失敗もつきものだ。そんなときは「輝かしい失敗(brilliant failure)」と捉え、学んだ教訓や経験を無駄にせず、生かしていくことも重要だという。「抵抗勢力の矢面に立ったり、失敗の責任は自分が負うからリスクをとって自由にチャレンジしろ、と鼓舞したりするトップの胆力が重要ではないでしょうか」と野中氏は言う。

 野中氏は最後に、さらに経営者やリーダーに求められる姿勢として「賢慮(実践知)のリーダーシップ」を紹介した。その条件として「善い目的を追求する」「現実を直観する」「場をつくる」「直観の本質を物語る」「政治力も行使して物語を実現する」「実践知を自律分散し、組織化する」の6つを挙げた。

 「抽象的な理論と、具体的な行動。これからのリーダーには、この両者のバランスが今まで以上に求められています。過去と未来を洞察しながら、最適な判断と行動を選択できる実践知を持ったリーダーである「知的バーバリアン」が、1人でも増えることを祈っています」と野中氏は講演を締めくくった。

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